- - - 日本やアジアのパントマイム |
パントマイムといえばヨーロッパが本場というイメージがありますが、もちろんアジアなどヨーロッパ以外の諸国にもマイム的な芸能/芸術はあります。
そのような芸能/芸術とマイムとの関連について書いてみました。 ■ 日本のマイム まず、お膝元の日本から紹介していきましょう。 歌舞伎、能、狂言 「日本のパントマイム」という話題で、よく挙げられる例が、歌舞伎の「だんまり」です。 暗闇で相手がどこにいるのかわからない設定で、無言で演技が行われるものです。 ・・・が、残念なことに僕はこの「だんまり」を目にする機会がなく、実際にどのようなものかはよく知りません(すいません)。 ただ、歌舞伎は日本の伝統舞台芸能の中でも、総合芸術という意味合いが強いものと言えます。 歌舞伎の中にマイム的な要素があるにしても、歌舞伎全体をマイムの表現スタイルである「無対象」・「無言」と並べて論じるのは苦しいところです。 歌舞伎よりもマイムに近いのは、むしろ能・狂言かもしれません。 表現のスタイルもそうですが、歴史的な経緯にも共通する点があります。 能のバイブルとも言うべき世阿弥の「花伝書」は1418年、つまり15世紀に完成されています。 能はある意味この時期に一つの頂点に達したわけですね。 狂言も歴史的には能に並行して発達しています。 一方、イタリアのコメディア・デラルテが隆盛を迎えるのは、能より少し遅れますが、やはり中世の16-18世紀です。 表現スタイルでも、能・狂言とコメディア・デラルテには共通点が多くあります。 まず、狂言では時々しか使いませんが、面(マスク)をつけて演じるという点。 そして、今度は逆に能にはあてはまりにくいのですが、演目が笑いをベースにしている点。 舞台装置の少なさも共通しています。 乱暴ですが、能と狂言を足して2で割って、スピーディーさとヨーロッパをふりかければ、そこそこコメディア・デラルテにな・・・らないか、やっぱり。 逆にもっとも異なる点は、即興性でしょう。 能や狂言にも即興性はありますが、やはり基本的には「型」の芸と言えます。 即興のセリフや動きが1つのメインとさえ言えるコメディア・デラルテとはずいぶん異なります。 |
壬生狂言
能・狂言よりも、もう一段パントマイムに近いのが壬生狂言でしょう。 名前に「狂言」と付いていますが、普通の狂言とはひと味違います。 壬生狂言の特徴は、演者が全員面を着ける点と、言葉をいっさい用いない点です。 演目は普通の狂言と重なっているものも多くあります。 壬生狂言はいつでもどこでも演じられているわけではなく、時期は主に4月の大念仏会の頃(4/21頃)や節分に、場所は京都の壬生寺で行われます。 また、壬生狂言という名前かどうかは定かでありませんが、同様のスタイルの狂言は壬生寺以外のところでも行われています。 郷土芸能という味わいが強く、「芸」というより、ほんわかした素朴さを強く感じます。 4月のぽかぽかした日に日がな壬生狂言を眺めるというのは、なかなかほっこりしていいものです。 ・・・人によっちゃ退屈かもしれないけど。 その他 - 落語、日本舞踊など 落語は、もちろん「語り」が中心なのですが、扇子などごく一部の小道具を除いてモノを使わないことから、マイム的な動きの要素が随所に見られます。 たとえば、「愛宕山」という落語では、谷底から脱出しようと竹に綱を結わえてその綱を引っぱります。 竹がしなった反動で、トトンと谷から跳ね上がるのですが、綱を引っぱっているさまは、まさにマイムの「綱引き」です。 あるいは、「首提灯」という落語では、あまり手際よく首をはねられたもので首が切られたのに気付かない男の噺ですが、歩いているうちにだんだん首がずれてきて落ちそうになります。 この首が落ちそうなところを表現しているさまは、まさに「首の分解」の応用ですね。 ほかにも、うどんやそばをすする様子やなんかは、無対象演技の極地といえます。 ストーリーの洒脱さなども含めて、マイムが落語から学ぶべき点は多くあります。 日本舞踊では、もともと芝居から発展してきた経緯もあって、動きの要素の1つとして「科(しぐさ)」も重要視されています。 これは物まねを主体とする動きのことで、日常生活の動きに近い動作が取り入れられます。 曲自体、ストーリー性を持っていることが多いため、無言劇的な要素の強い踊りと言えます。 ただし、踊りによってはかなり様式化されているため、すべてがマイムに近いというわけでもありませんが。 日本の伝統芸能にはまだまだマイム的な要素を含んだ芸がいくつもあります。 たとえば、幇間芸の中に、障子の陰から肩に手をかけられ引き留められるさまを一人で演じる芸があります。 パントマイムでも、ブラックボード(黒板ではなく文字通り幅1m高さ2m弱の「黒い板」)を使って、これと似たことをやることがあります。 あるいは「泥鰌すくい」なんてのもマイムに近いと言えばそうですし、獅子舞なんてのもかなり様式化されてますが、マイム的と言えなくもない。 ・・・ただ、これをあんまりやっちゃうと、無対象でセリフのない芸能はみんな入ってしまうので、このあたりにとどめておきましょう。 |
■ その他の諸国
と、銘打ってみたものも僕の知識が浅く、あまり多くは書けませんが・・・。 中国 中国の演劇、と言えば、思い浮かぶのはやはり「京劇」です。 もともと京劇は、舞台装置を重視せずに、身体の動きを活かした舞台になっています。 たとえば、「三岔口(サンチャコウ)」という演目では、舞台には机一つあるだけです。 そこに剣を持った武士が二人、暗闇の中で決闘を始め・・・、という様子がアクロバット的な動きを交え、コミカルに表現されます。 この演目はマルソーも翻案して舞台にのせています(「暗闇の決闘」)。 京劇では、セリフ回しや歌、立ち回りも重視されていますが、それらとならんで所作が重視されています。 演者は演技だけで舞台にないものを表現できなくてはなりません。 この辺まさに、パントマイム的ですね。 またもう一つ特徴的なのはメイクと衣装ですが、この辺にコメディア・デラルテなどのマスクとの共通点を見いだすことができるかもしれません。 ただし、京劇が今のようなスタイルになったのは、意外に歴史が浅く、18世紀末頃からだそうです(もちろんそれまでの歴史を引き継いで今のスタイルになったわけですけど)。 その他の諸国 ・・・については書くほどの材料をほとんど持っておらず、一般論になってしまうのですが、舞踊は演劇的なところから発展していったものも少なくありません。 あるストーリーに沿って踊られる舞踊の多くは、マイム的な身振りを伴います。 もっとも、そのような身振りもどんどん様式化されて、現在目にするアジア諸国の舞踊とマイムを同列に論じるのは、やはり苦しいという気がしています。 しかし、この間アジアの舞踊を一同に会した公演を見に行ったのですが、マイムの遠縁として参考にすべき点は多いなと感じます。 インド舞踊などは、そのままマイムに活かすのは苦しいと思いますが、動きとして非常に面白かったです。 話には、インド舞踊にはもっとマイムに近いものもあるようなので、機会があれば見てみたいところです。 ほか、朝鮮半島のタルチュムという仮面劇や、バリ周辺の芸能、インドの各種大道芸などなど、 アジア周辺の芸能で調べたいことはいくつもあるのですが、これは情報が入り次第ということで。 それと、アジア以外にも、きっとアフリカとか南北アメリカにもマイム的要素はころがっているはずです(ネイティブ・アメリカンの手真似ことばとかありますし)。 ただ、こちらはアジア以上に情報がない状態です。 何かの拍子に情報が手に入り、整理できたあかつきには、ここで紹介したいと思います。 |
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